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7・前に進む勇気 Page3

last update Last Updated: 2025-03-20 09:00:55

「――ごちそうさまでした」

 彼は満足そうに箸を置いた。出した料理は全てキレイに平らげられている。

「いやー、全部うまかったです。ありがとうございました」

「いえいえ! ね、原口さん。よかったら、これからもちょくちょくウチにゴハン食べに来ませんか? こんな簡単なものでよかったら、私いつでも作りますから」

 ……はっ!? 私ってば何を彼女気取りで! でも原口さんは、特に意に介した様子もなくて。

「……いいんですか?」

「ええ。一人分増えたって手間は同じですから」

 一人で食べるゴハンより、誰かと一緒に食べるゴハンの方が絶対美味しい。――この間実家に帰ってみてそう思った。きっと原口さんも同じはずだから。

「お気遣いありがとうございます」

 低頭(ていとう)する原口さんに頷いてみせてから、私は彼の食器を片付け始めた。

「――じゃ、僕はそろそろ失礼します。長居してしまってすみません」

「いえ。引き留めたの、私ですから」

 原口さんはリビングからカバンを取ってくると、玄関で私に言った。

「それじゃ先生、執筆頑張って下さい」

「はい! ……気をつけて帰って下さいね」

 原口さんが今日訪ねてきてくれるまで、本当に私にエッセイなんて書けるのか不安だったけれど。今なら書けそうな気がしてきた。

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       * * * * ――それから数日後。「ふわぁ~~あ……」 バイト中、売り場での作業をしながら大欠伸をした私に、由佳ちゃんが心配そうに声をかけてきた。「奈美ちゃん、眠そうだね? どしたの?」「あー……うん。今新作の原稿書いててね。昨夜も遅くまでやってたもんだから」 元来、書き始めたら筆が止まらなくなる私は、今回の仕事でもそういう状態になっているのだ。いわゆる〝ライターズ・ハイ〟というべきか(……あれ? こんな言葉あったっけ?)。 今回は特別な仕事だから、なおのことそうだった。「遅くまでって何時ごろまで? 睡眠時間足りてないんじゃない?」「うーん……、十二時半ごろまでかな。でも睡眠は足りてるし、もう慣れてるから大丈夫だよ。由佳ちゃん、心配ありがとね」 手書き原稿派の私は、ただでさえ遅筆だ。そのうえ、言葉の一つ一つを吟味(ぎんみ)して書いているので、遅い時には深夜の二時ごろまでかかることもあるのだ。「大丈夫ならいいんだけどさ。っていうか新作って? こないだ出て、重版かかったばっかじゃなかったっけ?」 由佳ちゃんは一度首を傾げてから、「あ」と声を上げた。「もしかしてアレ? こないだ取材受けたエッセイだっけ?」「そうそう。それ」「ああ~、そういうことね。あたしも絶対予約するよ!」 由佳ちゃんって私の根っからのファンなんだな。私の新刊が出るたびに、毎回こうして売り上げに貢献(こうけん)してくれているから。もちろんそれだけじゃなく、素直な感想もくれて、それが作家としてすごく励みにもなっている。 私はいつも、こんなファンの人達に支えられて作家活動を続けられているんだなあと、感謝してもしきれない。「――すいませーん。本の予約したいんですけど」 若い女性のお客様に声をかけられ、私は補充作業を中断した。「はい、少々お待ちくださいませ。――由佳ちゃん、ここお願い」「うん、オッケー!」 彼女に売り場を任せ、パソコンのあるレジ横カウンターへ。「お客様、こちらの予約注文票にご記入をお願いします」 私はカウンターの下の引き出しから伝票を取り出して開き、ボールペンをお客様に差し出した。こうして記入された書籍のタイトルやお客様のお名前・連絡先などを、後でパソコンに入力していくのだ。

    Last Updated : 2025-03-21
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    「――はい、書けた。これでいいの?」「ありがとうございます。――はい、大丈夫です。では、こちらがお控えです」 私は控えをお客様にお渡しした。「入荷しましたら、ご連絡差し上げます。ご注文承(うけたまわ)りました」 お客様はそのまま、雑誌の売り場へと向かった。「――店長、ご注文受け付けました。今からパソコンに入力します」 パソコンに向かった私は、レジにいる清塚店長に声をかけた。「了解。悪いねえ、巻田さん。頼むよ」「はい」 ほんの二ヶ月くらい前の私なら、パソコン作業はあまりやりたがらなかった。 でも、今は違う。今の私は作家としての仕事にも、書店員としての仕事にも前向きに取り組んでいる。私を変えてくれたのは、原口さんへの恋心だと間違いなく思う。「あっ! 奈美ちゃん、いいよ。あたしがやるから」「ううん、いいの。私できるから、任せて」 由佳ちゃんがヘルプを申し出てくれたけれど、私は断った。気持ちは嬉しいけれど、注文を受けたのは私なんだから、責任もって入力まで終わらせないと! もうだいぶ慣れてきた手つきで、私は入力作業を済ませた。その内容にミスがないか確認した後、予約受付票を専用バインダーに挟んで手続きは完了。 店内の時計に目を遣ると、もう夕方四時。ちょうど退勤時間だった。「店長、お疲れさまでした。私と由佳ちゃんはこれで失礼します」「ああ、お疲れ

    Last Updated : 2025-03-22
  • シャープペンシルより愛をこめて。   7・前に進む勇気 Page6

    「――で? 恋の進展状況はどう?」 二人でアイスラテをすすりながらのガールズトーク。由佳ちゃんが真っ先に切り込んできた。「えーっと、とりあえず『告白します宣言』はした」「……は? えっ、どういうこと?」 由佳ちゃんの頭にはハテナが飛び交っているらしい。そこで私は、数日前の夜に原口さんが訪ねてきた時のことを話した。「――ってワケなんだ」「へえ……。ねえ奈美ちゃん、それって彼も奈美ちゃんに気があるってことなんじゃないの?」「……やっぱり、そう思う?」 私一人ではただの自惚れだと思っていたけど、由佳ちゃんも同じように感じたってことは……。「うん! これは脈アリとあたしは見た」「そっか。そうなんだ……」 私の自惚れなんかじゃない。原口さんも私のこと……。美加だけじゃなく、由佳ちゃんにもそう言ってもらえたら、本当に大丈夫な気がしてきた。「ちなみに、原口さんって今フリーなの?」「うん。少し前に親しくしてる女性作家さんから聞いて、本人に確かめたら間違いないって。……あ」「……ん? どしたのよ?」 私はそこでふと思い出した。職場まで取材に行った時に、美加にこの話をしたら何かが引っかかっているように見えたのを。「あ……、えっと。実はね――」

    Last Updated : 2025-03-23
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    Last Updated : 2025-03-24
  • シャープペンシルより愛をこめて。   7・前に進む勇気 Page8

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    Last Updated : 2025-03-25
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    「あんな現場見ちゃったからだ……」 あの二人がただ仕事の話をしていただけだってことは、理屈では分かっている。おそらく、〈パルフェ文庫〉の第二号の執筆を彼女に依頼していたんだろう。 でも恋は理屈じゃ片付けられない。原口さんは、琴音先生がこの近くに住んでいることを知っていた。担当している作家でもないのに知っているってことは、彼女の家を訪ねていったことがあるってこと。それも、多分プライベートでだ。つまり、二人にはそういう関係だった時期があったってことになる。――おそらく二年前までには。「あ~……、また二年前か」 ここまできたらもう、〝二年前〟は符号(ふごう)としか思えなくなってきた。偶然も三回続けば必然っていうし――。「はー、帰ろ」 考えていると虚(むな)しくなり、私はため息をついてまたマンションを目指す。 マンション一階の集合ポストから郵便物その他を取り出し、少々重い足取りで階段を上がっていく。 部屋に着いたのは夕方五時半過ぎ。まだ晩ゴハンには早いし、食欲も湧かない。 ――ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ …… マナーモードを解除し忘れていたスマホがバッグのポケットで振動している。電話の着信らしい。でも誰からか分からない。 もしかして由佳ちゃん? それとも原口さん!? 早く確かめたくて、スマホを引っぱり出して画面を見た私は凍(こお)りついた。「琴音先生から!? どうして……?」 出ないで切ってしまうこともできる。でも私は、この現状から逃げたくない。早く疑惑を晴らしてスッキリしたい。そのためには、前に進むためには、彼女とキチンと話さなきゃいけないと思った。「――はい、ナミです」 私は腹を括(くく)り、通話ボタンを押してスピーカーフォンにした。『ああ、よかった! 切られるかと思った。もうマンションに着いた?』 琴音先生は私が電話に出たことにホッとしたみたいだ。――「切られるかと思った」のは、私に対してやましいことがあるからだと思うのは勘(かん)繰(ぐ)りすぎだろうか?「はい、さっき着いたところです」『そっか。――ねえナミちゃん、さっきショッピングビルのカフェにいたよね? お友達かな、一緒にいたの?』「はい、バイト仲間です。琴音先生は原口さんと一緒でしたね」 電話の向こうで、彼女がハッと息を呑むのが聞こえた。『……やっぱり見てたんだね。参っ

    Last Updated : 2025-03-26
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    「どうして原口さんは、琴音先生がこの近くにお住まいだってこと知ってたんですか? 私だって知らなかったのに。しかも彼はあなたの担当じゃないのに! どうして!?」 言っているうちに、だんだん頭に血が昇ってくるのが分かる。――落ち着け、私(あたし)!「それだけじゃないんです。あなたが彼を呼ぶ時の呼び方もずっと引っかかってたし、どっちも二年前から恋人がいないっていうのも偶然が重なりすぎてる気がして」『――、分かった! 認めるわ。あたしと原口クンはね、二年前まで付き合ってたの。ちょうどナミちゃんがデビューするくらいの頃までね』「……!? ウソでしょ……」 〝ああ、やっぱり〟と納得するには、その事実はあまりにも衝撃的すぎた。特に、後半部分がグサッと胸に突き刺さった。『ずっと黙っててゴメンね。話したら、ナミちゃんに嫌われるんじゃないかと思って、話す勇気がなかったの』「話してくれなかった方がショックですよ。私、琴音先生のこと信じてたのに」 こんなに大事なことを打ち明けてもらえなかったなんて、裏切られたような気分だ。「でも、私のデビューが決まったのと同時期に別れたのって偶然なんですか?」 私が一番引っかかっているのはそこだ。『う~ん……、結論から言えば偶然じゃないのよ。あたし達の別れに、ナミちゃんは間接的に関わってる。残酷(

    Last Updated : 2025-03-27
  • シャープペンシルより愛をこめて。   8・書けない…… Page1

    『――うん、いいけど……。長くなるよ? それでもいい?』「大丈夫です。話して下さい。……あ、ちょっと待って!」 スピーカーにしておいてよかった。私はキッチンから麦茶を淹れたグラスを持ってくると、再びスマホの前に座る。「――はい、お待たせしました。どうぞ」『うん。――あたし達は、あたしからのアプローチで付き合い始めたの。もしかしたら原口クンがあたしに合わせてくれてたのかもしれないけど、あたし達はうまくいってた』「はい」 私は麦茶に口をつけてから相槌を打った。『そんなあたし達の関係が変わったのは、ナミちゃんのデビューが決まってすぐの頃だった。それまでは女性作家さんの担当についたことのなかった彼が、自分からナミちゃんの担当になるって希望したの。不思議に思ったあたしが「どうして?」って訊いたら……』「はい」   * * * * ――琴音先生の話をまとめるとこうだ。 その日、たまたま次回作の打ち合わせで編集部を訪れていた彼女に、原口さんが私の大賞受賞作の生原稿を読むように勧めた。彼女はためらったけれど、「ゲラ版はもう校閲に回ってますから」と言われ、それならと読んでみた。 その頃すでに、彼は私のその小説に惚(ほ)れ込んでいたらしいから、この行動は彼女に引導(いんどう)を渡すつもりの行動だったのかもしれない。 彼女は原稿をベタ褒めし、原口さんから女子大生が書いたのだと聞かされてビックリ。 そして彼女は、彼が私の担当になりたい理由を熱く語られて、彼の中にある私への何かを感じ取った。それが何なのかは私にはまだ分からないけれど、おそらく編集者としての感情以上の何かだったんだと思う。「自分がこれ以上縛(しば)りつけていたら、彼を苦しめてしまう」――。原口さんが器用な人間じゃないことを理解(わか)っていた琴音先生は、自(みずか)ら身を引くことで彼に仕事に専念してもらうことにした。――「恋愛か仕事か」という選択を迫ることなく、彼に仕事を選ばせたのだった。 私が間接的に関わっているっていうのはそういうことだったのだ。そうして二人は恋愛関係に終(しゅう)止(し)符(ふ)を打ったのだという――。   * * * * ――私はしばらく言葉を失った。 同じ〝別れ〟でも、私と潤の時とはまるで違う。相手のことを想って身を引くなんて、大人じゃないとできない。私にはきっ

    Last Updated : 2025-03-28

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page2

    「でも最近、自分がやっと一人前の作家になったような気がしてきてます。私自身、本の売れ行きが予想をはるかに超えててビックリしちゃって。こないだ入った印税なんか、ゼロの数が多すぎて『これ、金額間違ってるんじゃない?』って思ったくらい」 運ばれてきたハヤシライスを食べながら、私は嬉しさを隠しきれずにそう言った。この話は大げさではなく、事実である。私の銀行口座の残高(ざんだか)は今、大変なことになっているのだ。万から上のケタが四ケタってどういうこと? ……みたいな。「それだけ印税入ってくるようになったら、もう専業作家になってもいい頃なんじゃないですか? 書くことに専念して」「えっ、専業?」「はい。人気作家になったら、他の出版社さんからも執筆依頼が来るようになります。先生は原稿を手書きするので、そうなると今まで以上に執筆時間を長めに確保する必要が出てきます」「はあ……」 原口さんの言いたいことは分かる。パソコン書きの作家さんなら、いくらでも執筆時間の都合はつけられる。――少なくとも、手書きの作家よりは。「これまで通り働きながら執筆活動を続けようと思ったら、睡眠時間を削(けず)らないといけなくなります。それじゃ先生、最悪の場合は体壊しますよ」 彼氏としても編集者としても、私のことを心配してくれているのは嬉しい。でも……。「それだけ心配してくれてるのはすごくありがたいんですけど。私、バイトは続けていきたいです。友達もいるし、作家と書店員を両立する上での役得もあるし」「先生の気持ちは分からなくもないですけど。無理はしてほしくない――」「大丈夫。執筆時間は何とか都合つけて頑張りますから」 彼の思いやりには感謝したい。でも、ちょっと心配しすぎな彼の言葉を遮って、私は彼を宥(なだ)めた。「そうですか? 分かりました。――この問題の解決策(さく)が、実は一つだけあるんですけど」「解決策って?」 私は食事の手を止め、彼に首を傾げてみせる。「先生に、我が洛陽社の専属作家になってもらうこと、です」 私は〝目からウロコ〟とばかりに目を瞠った。でも、言い出した当人の原口さんはあまり気が進まないようだ。「なるほど。……でも原口さん自身は、あんまり薦(すす)めたくないみたいですね」「はあ。僕としては、〝作家という職業は自由業だ〟と思ってるんで。先生にはいろいろな出

  • シャープペンシルより愛をこめて。   後日談・二ヶ月後…… Page1

     ――私(あたし)と原口さんが付き合い始めてから二ヶ月半が過ぎ、季節は秋になった。 今日は土曜日で私のバイトもお休み。というわけで、原口さんと映画デートを楽しんでいる。「――ナミ先生、映画面白(おもしろ)かったですね」 シアターから出るなり、彼はほこほこ顔で観ていた映画の感想を漏らした。「うん。あたし原作も好きなんですけど、映画はまた違う面白さがありましたよね。脚本家さんのウデかなあ」「あと、監督(かんとく)さんの、ね」 私達の会話は、傍(はた)から見れば映画評論家(ひょうろんか)同士の会話みたいに聞こえるだろうか。――まあ、当たらずとも遠からずなのだけれど。 今日私達が観てきた映画は、私も本を出させてもらっていた〈ガーネット文庫〉の先輩作家さん・岸田(きしだ)

  • シャープペンシルより愛をこめて。   エピローグ Page3

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   エピローグ Page2

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   エピローグ Page1

     原口さんと両想いになってすぐ、私は潤に電話をした。「――潤、ゴメン。やっぱりアンタとはやり直せない。あたし、原口さんと付き合うことになったから」「……そっか、分かった。好きなヤツと両想いになれてよかったな、奈美。オレ、これでお前のことスッパリ諦めて、次の恋探すよ」 私にフラれた潤(アイツ)は、声だけだけれどスッキリしたような感じがした。 ――そして、私と原口さんが結ばれてから数週間が過ぎた八月上旬。 〈パルフェ文庫〉の創刊第一号・『シャープペンシルより愛をこめて。』の発売が三日後に迫る中、私のスマホに彼からのメッセージが受信した。『編集部が完成したので見にきませんか?』 さらに、公式サイトに書影(しょえい)もアップした、とのこと。私はそれが一目で気に入った。 私の文字がそのまま使用され、あとは原稿用紙のマス目とシャーペンの写真・ペンネームがデザインされているだけでとてもシンプルだけど、それが却って斬新(ざんしん)だ。   * * * * ――その翌日、バイトの休みを利用してできたてホヤホヤの編集部を訪れた。午前から来てもよかったけど、忙しいと迷惑がかかるかな……と思い、午後にした。 洛陽社のビルにはもう何度も来ているけれど、ここが彼氏の職場となると別の意味で緊張する。彼の働いている姿が見られると思うと……。 日傘の柄(え)を手首に引っかけ、オフショルダーの服でむき出しの肩に提げたバッグを担(かつ)ぎ直し、私は八階でエレベーターを降りた。この階は文芸部門のフロアーで、いくつかのレーベルの編集セクションと小会議室が数室あり、中でも〈ガーネット〉の編集部はこのフロアーの実に三分の二を占(し)めている。「――あ、巻田先生! お待ちしてました!」 小会議室が並ぶ廊下で、彼氏(!)になったばかりの原口さんが待っていてくれた。「原口さん! お疲れさまです。ご厚意に甘えて来ちゃいました」「〈パルフェ〉の編集部は一番奥です。案内しますね」 彼に先導(せんどう)され、私は〈ガーネット〉を含む他のレーベルの編集部をぐんぐん横切っていく。「――ところで、私達付き合い始めてもうじき一ヶ月になるんですけど。お互いの呼び方何とかしませんか?」 私はこの場の空気を読んで、小声で彼に提案した。この一ヶ月ほどで、私達の関係に何か変化があったのかといえば特にそん

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  • シャープペンシルより愛をこめて。   9・シャープペンシルより愛をこめて。 Page10

    「――私ね、前にも話しましたけど、潤とのことがあってから、『もう恋愛は懲(こ)りごり』って思ってたんです。もう恋愛で傷付いたり疲れたりしたくないって。……でも私はやっぱり恋愛小説家だから、性(しょう)懲(こ)りもなくまた恋をしちゃいました」 考えていた台詞はどこかに行ってしまったけれど。私のこの想いだけ伝わればいい。「原口さん。……私、あなたが好きです。多分、二年前に担当になってくれた時からずっと」 よし、言えた! ――さて、彼の反応はどうだろうか?「…………えっ!? ぼ、僕ですか!?」 ……がくぅ。私は脱力した。これってわざとですか? ボケですか?「そうに決まってるでしょ!? 今ここに、他に誰かいますか?」「そう……ですよね。いやあ、なんか信じられなくて」 コメカミを押さえながらツッコむと、彼は夢心地のように頬をボリボリ。でも次の瞬間、彼から聞けたのは思いがけない(こともないか。実はそうだったらと私も密かに望んでいた)言葉だった。「実は僕から告白しようと思ってたので、まさか先生の方から告白されるなんて思ってなくて」「え……?」 待って待って! これって夢?「僕も、巻田先生が好きです。二年前からずっと」「……ホントに?」「はい」 こんなシチュエーション、小説にはよく書いてるけど、いざ自分の身に起こると現実味が薄い。「……あの、あなたが二年前に琴音先生より私を選んだのはどうして? 彼女の方がずっと魅力的なのに」「それは、僕が心惹かれた相手が先生だったからです。責任感が強くて一生懸命で、でも僕のボケには的確にツッコんで下さって。僕にとってはすごく可愛くて魅力的な女性です」 〝ボケ〟とか〝ツッコミ〟とか、いかにも関西人の彼らしい。――つまり、私達の相性は最強ってことかな。SとMで、当たり前のように惹かれ合っていたんだ……。「――実はね、私ちょっと前まであなたのこと苦手だったんです。あなたが酔い潰れた姿を見るまでは、あなたのこと口うるさいカタブツだと思ってたから」 あの夜、〝素〟の彼を見て分かった。彼は精一杯、バカにされないように突っ張っていただけなんだと。「じゃあ、あの夜に僕が本当は何を考えてたか分かりますか? ――もしこのリビングが明るかったとしたら」「え……」 私は瞬く。と同時に理解した。男性である彼が、「理性を保てなく

  • シャープペンシルより愛をこめて。   9・シャープペンシルより愛をこめて。 Page9

     ――そして、待つこと十数分。 ピンポーン、ピンポーン ……♪ ……来た! 私はインターフォンのモニター画面に飛びつく。「はい!」『原口です。原稿を頂きに来ました』「はっ……、ハイっ! ロック開けてあるのでどうぞっ!」 思わず語尾が上ずってしまい、インターフォン越しに彼がプッと吹き出したのが分かった。……恥ずかしい! 緊張してるのがバレバレ! もう二年以上の付き合いなのに(仕事上だけれど)、「今更?」って思われていたらどうしよう? そしてそのショックで、昨日まで練(ね)りに練った告白プランが全部飛んでしまった。「――先生、おジャマします」「はい、……どうぞ」 玄関で原口さんを出迎えた私は顔が真っ赤だったはずだけど、彼は「今日、暑いですよね」と言っただけでいつもの定位置に腰を下ろした。――彼なりに空気を読んでくれた?「あの、先生――」「あ……、原稿ですよね? ここにちゃんと用意してあります」 何か言いかける彼の機先(きせん)を制し、まずは原稿の封筒を彼に手渡す。「あ、ありがとうございます。――あの、ここで読ませて頂いてもいいですか?」「はい。じゃあ私、冷たいものでも淹れてきますね」 私はキッチンに立つと、二人分のアイスカフェオレのグラスを持ってリビングに戻った。 彼は普段と変わりなく、原稿を一枚一枚めくっている。でも今回はじっくり時間をかけて読み込んでいる気がする。「――コレ、どうぞ」 グラスを彼の前に置いても、「どうも」と会釈してくれただけで、視線はすぐ読みかけの原稿に戻された。私は何だか落ち着かず、彼の隣りでアイスカフェオレを飲みながら成り行きを見守ることに。 ――原口さんが二百八十枚全部を読み終わったのは、夕方五時半ごろだった。「どう……でした? 誤字とかのチェックはもう自分でしてあるんですけど」 私は彼に、原稿の感想を訊ねてみる。毎回この瞬間はドキドキするけれど、今回の緊張感は普段とはケタ違いだ。「……いや、これスゴいですよ。恋愛遍歴なんかもう赤裸々(せきらら)すぎちゃって、僕が読むのなんかおこがましいっていうか何ていうか」「いいんです。あなたに読んでほしかったから」 私の過去の男性遍歴は、あまり人に自慢できるようなものじゃないけれど。それでも好きな人には知っていてほしいから。

  • シャープペンシルより愛をこめて。   9・シャープペンシルより愛をこめて。 Page8

    「――で? 告白の時はもうすぐなの?」 笑いがおさまったらしい由佳ちゃんが、私の顔を覗き込む。「うん」 締め切りは来月半ばだけれど、今の執筆ペースでいけばそれより早く書き上げられるはず。そしたらその日が、いよいよ告白決行のX(エックス)デーだ! 美加も由佳ちゃんも、そして琴音先生も気づいている。彼が私を好きだってことに。そして多分、私の気持ちを彼も知ってる。告白にはエネルギーが必要だけど、今回はもしかしたら〝省エネ〟で済むかもしれない。「そっか。きっとうまくいくって、あたし信じてるよ! ――さて、早く食べて仕事に戻ろ!」「うん!」 作家の仕事と同じくらい、私はこの書店での仕事も大好きだ。このお店で大好きな仲間と働けていることに感謝しながら、私はお弁当の残りをかき込んだ。   * * * * ――それから二週間ほど経った。 週四~五日は昼間はバイト、夜は原稿執筆に精を出し、休日には書けたところまでをチェックするという日々を送り、季節は梅雨からすっかり夏になっていた。今年は梅雨明けが早かったらしい(注・この作品はフィクションです)。 今日は店長のご厚意(こうい)で、有給にしてもらえた。昨日、「今の原稿、明日には書き上げられそうなんです」って私が言ったら、「じゃあ明日は有休あげるから、執筆頑張るんだよ」と言ってくれたのだ。

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